自閉症スペクトラムの歴史を作ってきた最も重要な3人を挙げればレオ・カナー、ハンス・アスペルガー、ローナ・ウィングの三人でしょう。
自閉症スペクトラムが医学的な論文として挙げられていたのが、アヴェロンの野生児だと思います。1801年のことです。著者のイタールは、ドクターなんですけど、森の中で育てられた少年を引き取って、自分のところで教育しようとした。しかしなかなかうまく教育できなかったという話が伝わっています。
この子どもは言葉がなかった。あとハンドリングといって人の手を取って自分の要求するものを取る。たとえば、蛇口をひねるときに自分でひねればいいのに、大人の手を取って引っ張っていってひねるというようなことをしていたわけですね。
少し興味深いことに彼は整理整頓癖があったそうです。あと、音への敏感さと同時に鈍感さもあった。小さな音でもびっくりしたりする。と同時に大きな音でも平気だったりしたという特徴のある子どもでした。これがかなり詳細な医学的な検討が残っている論文なんですけど、おそらく今の視点で見ると、自閉症ではないかといわれています。
歴史の中に自閉症が登場したのが1943年のカナー先生の論文だと言われています。厳密にいうともっとはやくハンス・アスペルガー先生が書いていたということもあるんですけど、ただ精神医学の歴史の中で最も最初に影響を与えたのがこのカナー先生の論文ですね。彼の論文では、生まれたときから人と状況に普通の方法で関わりを持てないと記載されています。最初の論文で、生まれつきの障害でなおかつその生涯の特性は人と状況に対して普通の方法ではかかわりを持てないとカナー先生は書いています。
ここで注意してほしいのは、人だけじゃなく状況に対しても普通の方法でかかわりを持てないということです。たとえば、ものに対しても並べたりするわけですね。そして同一性保持への強迫的願望といっています。同一性保持というのは、同じままにしておきたい、物が移動したら嫌だとか、家具の配置が変わったら嫌だとかいうことです。強迫的願望というのは、強く望むということ。強迫というのは強く迫ると書きますよね。どうしてもそうしておきたいと強く迫るような願望がある、なおかつ極度に孤立している、すぐれた潜在的認知能力がある。一見人にも関心がないし喋らないし、もしかしたら重度の知的障害に見えるけど、実は優れた潜在的な、内に秘めた能力があるとカナー先生が考えたわけですね。
1944年にハンス・アスペルガーというオーストリアの小児科医が、小児期の自閉的精神病質というタイトルで論文を書いています。これはもちろんドイツ語で書かれていたわけですね。アスペルガー先生が説明した自閉的精神病質は社会的に奇妙でナイーブ、不適切、情緒的に孤立していると。要するにまったく孤立しているわけではないけど、社会的に奇妙にかかわりかたをする、結果的に情緒的に孤立してしまうといったイメージの子供たちです。喋り方は流ちょうだけど回りくどくて字義通り。たとえば、「お風呂見ててね」というと本当にお風呂だけじっと見ていると。水が溢れても止めないとかですね。「まっすぐ帰りなさい」というと、「僕のうちは曲がらないと帰れない」と言ったりするのが字義通りですね。特定に領域に限局された興味をもっている。これはたとえば恐竜とか数学とかでもいいし、最近だとポケモンとか鬼滅とかのアニメ、鉄道でもいいと思います。特定の領域に非常に関心があるわけです。
今話した1943年のカナー先生の自閉症の論文と、1944年のアスペルガー先生の自閉的精神病質の論文は非常に中身的には似ているわけですね。ただ歴史の中では、このアスペルガー先生の論文はあまり注目を浴びずに、特に英語圏ではカナー先生が英語で書いた小児自閉症はずっと自閉症のメイン、自閉症といえばカナー先生の自閉症を指す時代が長く続きました。
1979年にローナ・ウィングというイギリスの児童精神科医が三つ組みということを提唱しました。三つ組とは社会性の問題、コミュニケーションの問題、イマジネーション(想像力)の問題の3つです。これらの能力に偏りが子どもの時からある子どもや大人を自閉症スペクトラムと呼びましょうという考え方の基本になったのがこの1979年の論文です。この論文は、ロンドンのある地区で特別支援教育を受けている子どもたちを全部どういう行動特徴があるかということを調べました。そして社会性とコミュニケーション、イマジネーションの障害が三つ一緒に現れてくることを見出して、そういう子どもたちを自閉症と定義しましょうという風に言ったわけです。注意してほしいのが、自閉症というと孤立してるイメージがあると思うんですが、だけどそれだけでなく受け身型の子もいます。これは自分からは積極的に対人関係を持たない、積極的に友達に関わろうとはしないけれども、受け身的にはかかわるという子どもたちです。自分からはいかないけれど誰かからきたらかかわる。もう一つ、積極奇異型というタイプもあります。これは自分から一方的に積極的にかかわっていく。だけど一方的なので相互的な対人交流が持てない。この積極奇異型の人も自分から積極的ににかかわっていくという意味では自閉的には見えないんですけど、相互的な交流がうまく持てないという意味では社会的交流に問題があるわけです。
こういったタイプの子どもたちも含めて、自閉症スペクトラムと呼びましょうと提唱したのがウィング先生だったわけですね。それとほぼ同時期の1981年に、アスペルガー症候群臨床的知見という論文をウィング先生が発表しています。この論文の中で、ハンス・アスペルガー先生の言った小児期の自閉的精神病質、そしてカナー先生が言った小児自閉症。この二つの群と、三つ組みのある子どもたち、全部一緒にして自閉症スペクトラムと呼びましょうと提唱しました。
さらにアスペルガー先生が提唱した小児期の自閉的精神病質は、精神病質というのは性格の偏りを指すので、その言い方をやめてアスペルガー症候群と呼んで、自閉症スペクトラムの一部に位置付けましょうという提唱もしました。
その後、自閉症特性の連続体という論文を1988年に書いて、1996年に自閉症スペクトラムという論文をウィング先生が書いています。これらの概念が広がって、いま世界中では自閉症スペクトラムという言葉が使われるようになってきたわけです。
そうすると、自閉症の範囲が昔より広がってきたということですね。以前は孤立している子を自閉症といったわけですが、受け身タイプの子や積極奇異型の子も自閉症スペクトラムと名付けましょうと。カナーの言った自閉症もアスペルガーの言った自閉症もひとつづきのものだよという風に考えようと提唱したのがウィング先生ですね。アスペルガー先生の言ったアスペルガー症候群も、カナー先生が言った自閉症も、社会性やイマジネーション、コミュニケーションのこの三つ組みの障害があることで定義したわけです。現在はこの考え方が主に使われています。
時々誤解があるんですけど、やっぱり自閉症というと閉じこもっている子どもというイメージがあると思います。そうじゃなくて、積極的にかかわっている子どももいます。もちろん閉じこもっている子どももいます。自閉症というと話さない子どもというイメージを持っている人もいますが、そうではなくて、よく話す子供もいるし、言葉の発達に遅れがない人たちもたくさんいます。
あと、自閉症というと特別な才能のある子どもというふうに思っている人もいます。これはカナー先生が最初の方の論文で言ってたわけですけど、現在はそうとは限らない。特別な才能がない人も中にはいるし、才能のある人もいます。だからうちの子は特殊な才能がないから自閉症じゃないとか、そういうふうに思っているかたも時々いますけど、そうではないよと。あと、多動がある子どもも自閉症の子の中には多いんですね。幼児期に多動だったり不注意だったりすると、これはADHDじゃないかなと幼稚園の先生とか保育園の先生とかに言われるんですけど、そういう子たちを僕らがみると、表面的に多動があっても、同時に社会性やコミュニケーション、イマジネーションの問題、この三つの特徴があることも多いんです。そうであればやっぱりそれは自閉症スペクトラムと考えられると言います。同時に不注意や多動がはっきりあれば自閉症スペクトラムとADHD両方の障害を合併していると診断することもあります。